2014年2月21日金曜日

トランセンデンタリズム(transcendentalism / 超絶主義 - 個人の尊厳と精神の優位を主張した観念論的ロマン主義の総称)

 前回はアメリカの独自の文芸開花についてでしたが、今回はその精神風土となったピューリタニズムとトランセンデンタリズム(transcendentalism / 超絶主義 - 個人の尊厳と精神の優位を主張した観念論的ロマン主義の総称)についてです。

 ピューリタンは理想に燃え、誘惑を悪とみなし、それらと厳しく闘うという自己啓発に努めました。また、古典文学や有名な歴史的事件から隠喩を多く引用して説教をするなど、その比喩的・寓意的発想は、アメリカ文学の特色のひとつである象徴主義の下地となりました。

 トランセンデンタリズム(transcendentalism / 超絶主義)は、19世紀初頭にアメリカで広まった思想運動です。ピューリタニズムは「キリスト教の神」がその中心にありますが、トランセンデンタリズムは「神」という超越的存在を個人の中に見て、「自立した自己の精神」をその中心におきます。ここでいう「自己」とは、欲望から解放された本来的自分ということで、自我とは対立関係にあります。

 これらの超絶主義者には、『森の生活』のデビッド・ソロー、『緋文字』のナサニエル・ホーソンなどがいますが、忘れてはならないのが、エマソン(1802-1882)です。

「たそがれ時、曇り空の下、雪でぬかるむ殺風景な広場を通り抜けていると、特に幸福なことを考えていたわけでもないのに、私はある種の完璧な爽快さを味わってしまう」エマソン(1802-1882)

「森の中、われわれは理性と信仰をとりもどす。そこにいれば私は自分の人生に自然がつぐなえないことは何ひとつないと感じる。むき出しの大地に立ち、頭をさわやかな大気に洗われて、かぎりない空間のさなかに昂然ともたげれば、いっさいの卑しい自己執着は消え失せる。」 (「自然」岩波文庫)

 エマソンは自然を重視しましたが、美しいからではなく、自然を精神の象徴だと考えたからです。つまり、彼にとって自然は、人間の精神について学ぶために大切だったのです。彼の考えはソローやホイットマンに受け継がれていきますが、ピューリタニズムにしても、トランセンデンタリズムにしても、その根本に横たわっているのは、社会の制約を超え、超越的存在を実感した個人の情熱ではないかという気がします。



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http://www.eigozai.com/LL/DAS/THOREAU_J.htm

  ソローは文学を閉ざされた人間的領域から解放し、自己を取り巻く環境の概念を地球全域の生命内部へと拡大させた。その文学的経歴は、一生をかけて現在エコロジーとよばれている思想の総体を構築した点に、ユニークな一貫性が見出せる。
 『ウォールデン』序章「エコノミー」は、ソローの自然観となったエコロジーの縁語で、語源はギリシャ語オイコス(家)だ。アメリカ文学中最も著名な家と なったウォールデン湖畔のソローのキャビンは、ネイチャーライターが注目する鳥の巣造りの合理性に習い、必要な材料はすべて森で調達し自分の手で建てたも ので、まさにその造りにおいて、鴨長明の『方丈記』の茶室に似た構造を持ち、ソローの禅的思索や論語の影響、清貧の思想からも日本人には馴染み深い。
 ソローの簡素の追求は、市場経済化を促進させた鉄道建設や土地開発により、森林乱伐のさ中にあった十九世紀半ばのアメリカで、時代の趨勢となった「鉄道式生き方」に対し、「太陽と月以外には時計を持たず自然のリズムで生き」る「絶対的自由」の探求となった。
 拙著は、文学に自然と人間の新しい関係性の提示を読みとろうとするエコクリティシズムの手法で、こうしたソローの現代に生きる伝統を、環境文学の大きな焦点である自然観と社会へのコミットメントという二つの側面の繋がりを明らかにすべく三部に分けて論じた。
 第一部で初期自然誌的作品から『ウォールデン』まで、第二部でアメリカ史の原点に位置する建国神話の地の海辺の自然誌『ケープ・コッド』を経て、ソロー の自然観変容に決定的契機を与えたダーウィンを中心とする科学思想の影響と『種の起原』の衝撃を中心に考察した。さらに第三部で、現代アメリカン・ネイ チャーライティングにソロー文学の諸思想と修辞がいかに継承変容されているかを、特に環境保護運動家の間で生きる〈市民の不服従〉の伝統に焦点をあてて考 察した。