2014年7月8日火曜日

小津安二郎と虚構の美学/千と千尋の神隠し

小津安二郎の映画は私の中では結構独特な位置づけを占めている。というのも、クロサワの映画というのはどうも和紙を眺めているような感覚がするのだが、小津安二郎の映画はサザエさんのような感覚なのだ。

「麦秋」「秋刀魚の味」という作品を見たのだけど、いずれも大人なサザエさんである。
すきだけどね。これらの映画の影響で私はさっくり着物などをきているんだ。

千と千尋の神隠しが好きだと友人が話していて その中から思ったことは
違う世界への冒険
家族のために
親切な人たちとの出会い(ちなみに親切さというのは優しさだけでは通常で来ていないものらしい)
何かを守る
圧倒的に怖いものが出てこない
理論的である
恐怖はいずれ解決される運命にある

というのが大まかな共通点である。
ジブリ映画にありがちなパターン

「無鉄砲でがんばり屋さんな女の子がヒーローである
強い男が心を動かされてサポートする」というかんじ。

私が好きな映画も、考えてみると意外と自分の世界観が見えてきて驚いた。
以下、面倒なので私のエッセイ。「めがね」を例にしている。

美学によっても記号学によっても捉えられていないもの。それは発見ではなくひたすらに触知されるものと書かれていた。私のいちばん好きな映画で「めがね」という作品がある。東京から”センセイ”が逃げてくるというお話で、映画の中ではひたすらのんびりした映像が流れる。これらの記号としては沖縄、海、浜辺、海産物、バーベキューというまさに「都会とは反対の楽園」といったものが次々に出てくる。しかしその中に、早起き、物々交換、宿主への反発などが盛り込まれることで、映画の中に独特の雰囲気を生んでいる。この映画の魅力で、これだというものはない。しかし私にとってこの映画は理想の世界である。痛みのない、快楽だけの、お金や資本主義が出てこない。出てくるのは心地よい人間関係と優しい音楽、それから深い眠りとおいしい食事。この映画をみていると私の視覚は心地よさに沈んでゆく。時に映画のジャンルでまるでドキュメンタリーのような日常的な映画が評価されることがある。その中にはストーリーではない別の脈が人の心を打っているのに違いないのだと思った。

以上。